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東京高等裁判所 平成7年(う)1161号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を東京地方裁判所に差戻す。

理由

本件控訴の趣意は、検察官吉村弘作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、主任弁護人山下幸夫作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

検察官の論旨は、要するに、少年法の定める少年保護事件手続には不利益変更禁止の原則が適用される余地がないにもかかわらず、右原則を適用して本件公訴を棄却した原判決には、少年法の解釈、適用を誤った違法ないしそれによる訴訟手続の法令違反があり、その誤りないし違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない、というのである。

弁護人の論旨は、要するに、検察官の控訴趣意は理由がなく、原判決は正当であるから、本件控訴は棄却されるべきである、というのである。

所論に鑑み、原審記録を調査して検討する。

一  本件公訴提起に至る経過と原判決の判断

東京家庭裁判所八王子支部は、平成五年六月二二日、当時少年であった被告人に対し、「被告人は、ほか六名らと共謀の上、平成五年三月一日午前零時三〇分ころ、東京都調布市布田四丁目一番地調布駅南口広場横路上及び同広場内において、Mほか四名に対し、こもごも、頭部等を多数回殴打したり足蹴りするなどの各暴行を加え、もって、数人共同して暴行し、その際、右Mに対し全治約三週間を要する外傷性虹彩炎等の傷害を負わせた。」という事実を非行事実として、被告人を中等少年院に送致する旨の決定(以下、本件中等少年院送致決定という。)をした。被告人は、この決定に対して、事実誤認を理由として抗告をし、抗告審である東京高等裁判所は、同年九月一七日、右決定には重大な事実誤認があるとしてこれを取消して、事件を前記支部に差戻す旨の決定をした。同支部は、新たに捜査機関から送付された証拠資料等の証拠調べをした上、同年一一月二五日、少年法二〇条により事件を検察官に送致する旨の決定(以下、本件検察官送致決定という。)をし、検察官は、右検察官送致決定を受けて、平成六年二月二八日、前記事実を公訴事実として、本件公訴を提起した。

原判決は、平成七年六月二〇日、右のとおりの経過を認定した上で、不利益変更禁止の原則は、明文の規定のない少年保護事件手続においても適用があると解すべきであり、少年法二〇条による検察官送致決定は、少年法上の保護処分決定と比較して不利益な処分というべきであるから、本件検察官送致決定は、本件中等少年院送致決定を当時少年であった被告人に不利益に変更したものであって、不利益変更禁止の原則に抵触する違法、無効な措置であり、さらに、本件検察官送致決定を受けた本件公訴の提起もまた違法、無効なものであるとして、本件公訴を棄却する旨の判決を言渡した。

二  少年保護事件手続における抗告と不利益変更禁止の原則

まず、少年法の定める少年保護事件手続は、少年の健全な育成と保護を目的とするものである(少年法一条)が、右の目的のもとに行われる保護処分には、保護観察、救護院・養護施設送致、少年院送致などの処分がある(同法二四条一項)ところ、等しく保護処分とはいえ、少年の身体的自由の制約等の観点からみると、例えば、右の制約等を伴う少年院送致は、これを伴わない保護観察と比べて、少年にとって不利益な処分であるということができるのであり、その意味において、保護処分相互間で少年にとって利益・不利益を比較することは可能である。

したがって、右の利益・不利益を比較することが不可能であることを論拠とする検察官の所論は、これを採用することができない。

また、少年法上の保護処分と刑事法上の刑事処分とは、質的に異なるものであるから、利益・不利益を比較することが不可能であることを論拠とする検察官の所論については、例えば、少年院送致決定を受けた少年側からこれを不服として検察官送致決定を求める抗告がされる事例、交通事犯における罰金刑を見込んだ検察官送致事例などの実情に照らし、保護処分と刑事処分とは質的に異なる手続にせよ、身体的自由の制約の面や罰金刑の運用面などから、少年にとって個別的・実質的に両手続の利益・不利益を比較することは可能であるというべきである。同様に、刑事法上の刑事処分の本質は応報であり、少年法上の保護処分の本質は教育・矯正であるから、前者は後者に比して、類型的に不利益であることを論拠とする弁護人の所論についても、右の実情に照らし、前記の観点から、少年にとって、観念的ではなく、個別的・実質的に両手続の利益・不利益を比較することは、やはり可能であるというべきである。

したがって、少年保護事件手続においては、保護処分相互間における利益・不利益の問題を検討する余地があるとともに、保護処分と刑事処分との間においても、個別的・実質的に利益・不利益の問題を検討する余地がある。

ところで、少年法上、前記の基本理念のもとに、少年の権利保障の観点から、保護処分決定に対して、少年側からの抗告が認められている(少年法三二条)が、刑事訴訟法四〇二条のいわゆる不利益変更禁止に関する規定と同様の規定が置かれていない。

なお、少年法上、抗告審においては、上級審が下級審の決定を取消して自判する場合は認められていない(同法三三条二項)から、差戻し又は移送後の審判において、改めて決定を行うときに、差戻し前の取消された原決定との関係で、右の不利益変更禁止の原則が適用されるかどうかが問題となるのである。

そこで、刑事訴訟法四〇二条において、刑の不利益変更禁止の原則が採用されている理由は、被告人側のみから申立てられた上訴に対し刑の不利益変更が許されるとすれば、被告人が上訴権の行使を躊躇することを慮るところにあると解され、また、上告審が原判決を破棄して事件を控訴審に差戻した場合には、不利益変更禁止の原則は、原判決と差戻し後の控訴審判決との間に適用されるものと解される(最高裁昭和二七年一二月二四日大法廷判決・刑集六巻一一号一三六三頁参照)。

このような刑の不利益変更禁止の原則が採用されている理由からすれば、少年法上の前記差戻し又は移送後の審判の場合においても、同様の理により同原則の適用を肯定することができる。すなわち、前記差戻し又は移送後の審判において、改めて行われる処分が原決定よりも少年側にとって不利益なものとなるならば、抗告したために、却って少年側に不利益な結果がもたらされたことになるから、少年側がこれをおそれて、抗告権の行使を躊躇するという事態が生じ得るところであり、このような事態になることを防ぎ、抗告権の行使を躊躇することなく適正に行使することができるようにするためには、やはり不利益変更禁止の原則の適用を肯定すべきものと解されるからである。

したがって、少年保護事件手続においては、少年法の解釈として、少年の権利保障の見地から、保護処分決定に対する抗告について、刑事訴訟法四〇二条と同様に、不利益変更禁止の原則の適用があるものと解するのが相当であり、この意味において、本件中等少年院送致決定に対する抗告についても、同原則の適用があるものと解される。

なお、検察官の所論は、少年保護事件手続に不利益変更禁止の原則が適用され、かつ、少年院送致決定と保護観察決定との間で前者が不利益であるとした場合、不都合が生じることからも、同原則の適用の余地がない旨主張し、その例として、保護観察決定が抗告審で取消されて差戻された後、少年の要保護性に大きな変化が生じ、収容処分が必要と判断される場合に、少年院送致決定が同原則に触れて許されないとすると、少年の保護育成の観点から不都合である点を指摘する。しかしながら、保護処分決定後に要保護性に大きな変化を生じることは、実務上少なからず生じ得る事態であり、このような事態に対しては、決定後の行状について新たに立件して対処しているところであって、所論指摘の場合も同様に対処することにより格別の不都合はなく、その他の場合を想定しても、右と同様の取扱いで差支えないものと考えられるから、所論は採用することができない。

三  検察官送致決定と不利益変更禁止の原則

少年保護事件手続において、家庭裁判所は、禁錮以上の罪に当たる事件について、調査の結果、その罪質及び情状に照らして刑事処分を相当と認めたときに、検察官送致決定を行う(少年法二〇条)が、検察官送致決定があると、家庭裁判所の少年保護事件は終局となる。

その後、送致を受けた検察官は、原則として公訴の提起を義務づけられるが、公訴を提起するに足りる犯罪の嫌疑がないか、犯罪の情状等に影響を及ぼす新たな事情を発見したため、訴追を相当でないと判断するときは、公訴の提起を義務づけられない(同法四五条五号)。

そして、検察官により公訴の提起がされた場合でも、刑事裁判所において、審理の結果、少年の被告人を保護処分に付するのが相当であると認めるときは、事件を家庭裁判所に移送することが予定されている(同法五五条)。

さらに、刑事裁判所において、少年の実体的処遇について判断をする場合でも、無罪判決を言渡すときがあることはもとより、有罪判決を言渡すときであっても、罰金刑、執行猶予付禁錮・懲役刑などを言渡すときをも含めて、事案に応じ、多様な実体的処遇が考慮されるところである。

このように、検察官送致決定は、家庭裁判所の処分としては、最終的決定であるが、事件を家庭裁判所から検察官に送致するという手続上の中間的処分であって、少年の実体的処遇についての判断が行われたものではなく、この判断が行われるのは、公訴が提起されて、少年法五五条による移送があった場合は、移送を受けた家庭裁判所において審判が行われるときであり、それ以外の場合は、刑事裁判所において判決が言渡されるときであり、このようなときにはじめて、少年の実体的処遇に変動が生じると解されるのである。

したがって、検察官送致決定自体によっては、少年の実体的処遇に変動がもたらされるものではなく、もとより少年に対し身体的自由の制約等の法益侵害が行われるものでもない。検察官送致の段階では、事件を家庭裁判所から検察官に送致する手続が行われるにとどまり、少年の権利侵害の問題が未だ生じていないと解されるところから、少年法上、検察官送致決定に対しては抗告が認められていないのである。

裁判実務上、例えば、交通事犯において、事案が比較的軽微であって、少年院送致よりも軽い処分を相当とする事案について、罰金刑を見込んだ検察官送致決定をする運用のあること、あるいは、交通事犯以外の一般事犯においても、少年院送致決定を受けた少年側が、これを不服として、執行猶予付き禁錮・懲役刑を受けるべく、検察官送致決定を求める抗告を行う事例のあること、などに徴すると、少年の実体的処遇に当たっては、保護処分・刑事処分の軽重、利益・不利益を形式的に解するのではなく、これを実質的に解して、身体的自由の制約等の法益剥奪の有無・程度をも含め、総合的な判断が行われているのであって、検察官送致は、そのための手続上の中間的処分として取り扱われているものと解されるのである。

要するに、少年に対する中等少年院送致決定が抗告審で取消されて差戻され、差戻し後の家庭裁判所が検察官送致決定をした本件においては、手続上の中間的処分である本件検察官送致決定をもって、抗告審で取消される前の中等少年院送致決定と比較して、これが不利益変更に当たるかどうかについて判断することは相当でないというべきである。

原判決は、本件検察官送致決定は、これにより直ちに少年の実体的権利関係に変動をもたらすものではないが、少年を保護事件手続から除外して刑事手続に振り向ける起訴強制力のある決定であり、少年に対する検察官の起訴の有効要件、前提要件であって、少年の実体的権利関係の変動を目指す決定であるから、その不利益性を否定できない旨説示し、弁護人の所論も、同様の主張をする。

しかしながら、本件検察官送致決定は、被告人に対する保護事件を家庭裁判所から検察官に送致する手続上の中間的処分であり、検察官がこれを受けて本件公訴を提起し、公判審理中に被告人が成人に達した本件においては、少年法五五条による移送を適用する余地がなく、結局、刑事裁判所の判決により被告人の実体的処遇が決せられることになるが、刑事裁判所の右の判断に当たっては、本件中等少年院送致決定に対する抗告に不利益変更禁止の原則が解釈上適用されることを考慮した上で、具体的・実質的に判断されるべきものと解されるから、手続上の中間的処分としての本件検察官送致決定については、この段階における不利益性を見出すことはできないというべきである。

四  結論

以上のとおりであって、少年法の定める少年保護事件手続において、少年法の解釈として、少年の権利保障の見地から、保護処分決定に対する抗告についても、不利益変更禁止の原則の適用があるものと解されるが、中等少年院送致決定が抗告審で取消されて差戻され、差戻し後の家庭裁判所が検察官送致決定をし、検察官が公訴を提起した本件においては、本件検察官送致決定自体は、事件を家庭裁判所から検察官に送致する手続上の中間的処分であり、少年の実体的処遇に変動をもたらすものではないから、これを不利益変更に当たるかどうかの対象としてみることはできないものである。

そうすると、本件検察官送致決定には、不利益変更禁止の原則に反する違法はなく、また、これを受けた検察官による本件公訴提起も有効であって、原判決が、本件検察官送致決定は不利益変更禁止の原則に抵触する違法、無効な措置であり、かつ、これを受けた本件公訴提起もまた違法、無効なものであるとして、本件公訴を棄却したのは、不利益変更禁止の原則に関する法の解釈を誤った結果、不法に公訴を棄却したものであり、原判決は破棄を免れないものであるから、結局、検察官の所論は理由がある。

よって、刑訴法三七八条二号後段、三九七条一項、三九八条により、原判決を破棄した上、本件を東京地方裁判所に差戻すこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中山善房 裁判官 鈴木勝利 裁判官 岡部信也)

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